「 切手という痕跡 」
匿 名(新宿区)
最近、若い女性の間で切手収集が密かなブームだという。知人から聞いた話では、どうやら切手の収集家というのは、使用済みの切手をキログラム単位の段ボールで購入し、その中から自分の欲しい切手や消印を探すらしい。そんな作業は、全く興味のない私からしてみればとてつもない苦労のように感じられるが、ひょんなことからそのキロ単位の古い切手を目の前にする機会があった。
段ボールいっぱいに詰め込まれた様々な国の色とりどりの切手は、予想以上に美しくて、それと同時に消印のインクの染みや、年月の経過による変色が何ともいえないアンティークな雰囲気を醸し出していた。実際、それらの切手を一枚一枚手にするのは、古い外国の絵本をめくっていくような感覚があって、しかもその膨大な数を前にすると、その楽しみが当面は尽きないことが約束されているようでとても楽しい。そして、それらの古い切手を手に取り眺めているうちに、あることに気づいた。これらの切手も、私がいつもそうしているように、手紙を宛てた誰かのことを想いながら貼られた切手なのだろか・・・。
その瞬間、段ボールいっぱいの切手があらゆる国のあらゆる人々のあらゆる想いの痕跡の山であるような気がして、今まで触れたことのなかった大量の痕跡や重みを前にして言葉を失ってしまった。
留学した友人や結婚して遠くへ引越した友人とは、Eメールで簡単に連絡を取ることができる。この便利さは何ものにも代えがたくて、きっと私たちはこれから今まで以上に手紙の存在に頼らなくなっていくだろう。でもそうなった時、私たちのやりとりは、年月を経てこんな風な痕跡となって人手に渡ることはないだろう。そうやって考えると古切手の山は、これから過去となるであろう一つの時代の人々の想いの象徴になるような気もして、そんな風に想いを馳せることのできる切手という紙片の山が今までと違ったものに見えてきたのだった。