「 亥のこの神さま 」
下林 としえ (国立市)
遠いむかしのこと。下関から父の故郷、瀬戸内海へ疎開して帰って間もないころだった。海の見えるだんだん畑の畔道に立って、わたしは畑仕事をしている母を見ていた。背中にはまだ五ヶ月の赤ちゃんだった弟を負んぶし、紫色のねんねこ羽織を着ていた。まわりに四歳と二歳の妹の姿は見えないから、たぶん家の中庭で遊んでいたのだろう、二人はいつも仲良くお留守番をしていた。
母はまだ三十代。もんぺ姿に姉さんかぶりで、少し傾斜した畑の上部から下方に向かって土を掘り起こしている。
「さくっ、さくっ」
打ち下ろされる鍬の音が、静かな畑に刻まれ、澄んだ大気が冷たかった。
「今日は『亥のこ』の日や。亥のこの神さまがこの日、震えふるえ、寒空へ上って行かれるそうや」
鍬を休めた母が、遠くを見ながらいった。わたしは空を見上げた。陰暦十月の亥の日。晩秋の空は深く澄み、山のうえ遠くに、ハケで掃いたようなうすい雲が見える。それは、母のいう亥のこの神さまの衣に想えた。うすい絹のような雲の裳裾をひきながら、神さまが天へ上って行く気がする…。
父の里では亥のこの日からコタツと火鉢がだされ、亥のこ餅をついて食べ祝う習慣があり、亥のこ、亥のこ餅などは、いくどか耳にした覚えがある。でも神さまのことは初めてであり、十歳だったわたしは漠然と信じた。
たぶん母も祖母から聞き、古い仕来りに纏わる伝説として、うけとめていたのではなかろうか?
もしかしてこのお話は、晩秋の冷気の訪れとともに、暖かだった地上の空気が、気流にのって上昇してしまうことを、擬人化風になぞらえられたものかも知れない。
それにしても、古き良き時代を感じる。祖父母のふところに抱かれるようなのどかさ…。もちろん、いつの時代にも、それぞれに苦楽はあっただろうけれど…。