第 3413 号2014.06.22
「 伝言 」
ベル(ペンネーム)
僕たちには 婚約指輪もなかったし
ましてや 結婚指輪すら用意することもできなかった
いや 結婚式もしないまま僕たちは
下町の運河沿いのアパートに暮らしていた
六畳ひと間の薄暗な部屋だった
風呂がなかったので 二日にいっぺんは近くの銭湯に行った
一度だって不幸だとは思わなかった
貯金箱の十円玉や五十円玉を数えながら
一向に貯まることのない お金をはたいて
週に一度は 場末の三本立ての映画館に行った
時代遅れの映画は 僕たちの今だった
帰りには 立ちそば屋の天ぷらそばをすすりながら
「おいしいね」と言葉を交わしていた
僕たちは 運河沿いを歩きながら
夕暮れの淀んだ水面に写る不安な夢を語り合っていた
それが 幸せだと思った
あれから 四十年の歳月が流れた
何と忙しく 時は過ぎてしまったことか!
これまで「幸せだった」とは言えないまでも
少なくとも「不幸だった」とは思わない
人に語れるだけの「思い出」も作れた
それ以上の 何を求めれば良いのだろうか?!
時の流れは 僕たちの大切な―
大切な財産であり「思い出」の日々なのだから・・・・・・
その財産(思い出)のひとつひとつを
明日 嫁ぐ娘にどうやって伝えようかと
僕は 残り少ない酒の一滴を注いでいた