第 3147 号2009.05.17
「 いつまでも、二人分♪ 」
おびき みつこ(ペンネーム)
夫が亡くなったとき、食器棚に並んでいるペアのカップやグラスを見て、胸が苦しくなりました。そのほとんどは、毎年の結婚記念日に、夫が買ってくれたものです。高価ではないけど、わたし好みの可愛い食器達。仕事帰りに、無骨な夫がファンシーショップで選んできてくれるのが、それはそれはうれかったけれど、これから先、使わないもう一つのカップやグラは、どうすればいいのでしょう・・・?
想像しただけで、さびしさがこみあげ、夫を恨みたいような気分になりました。
でも、気づいてみたら、何のことはない、あれからもずと、わたしは二人分の珈琲を入れています。ペアのカップを使て、一つは夫の写真の前へ。もう一つのカップを抱えて、正面のソファに座り、日々のいろいろなことを報告するのが楽しみになりました。
子どもの頃、母に「これをお供えして」と言われて、ご先祖様の写真に、お雑煮やお菓子などを供えました。わたしにとって、それはただの儀式で、神社でお願いをする前に、お賽銭を投げるような、習慣にしかすぎませんでした。
でも、夫が亡くなってみて、わかりました。写真の前に何かを供えるのは、「あなたと一緒に、この珈琲を楽しみたい」「あなたの好きだったもの、ぜひ食べてもらいたい」という願いなのですね。亡くなった人は、実際に飲んだり食べたりはできないけれど、きっと供える人の気持ちを、受け取ることができるのでしょう。
ひょっとしたら、夫は、「僕が死んでも、ちゃあんと僕の分も、珈琲を入れてくれよ」と、忘れないように、ペアのカップを置いていったのかもしれません。だから、今日も一緒に飲みましょうね。