第 2850 号2003.09.07
「 思い出のカーネギーホール 」
森下 真理(中央区)
きさくで親切なアメリカ人は、きっと今も存在する。――あの日の感激を思い出すたび、アメリカ批判をしながらも、ただ懐かしい。
9.11の四ヶ月ほど前。私は、マンハッタンに住む妹のマンション三十七階で三週間暮らした。
エンパイヤステートビルと、美しいクライスラービルを望む窓辺で、妹とおしゃべり三昧の贅沢な時を過ごした。後は私の好みの美術館めぐりを堪能する。もう一つの望みは、カーネギーホールの音楽会。
滞在何日目だったか、恐らく私の歴史に残る凄い日が巡ってきた。
大方の人が望むミュージカルやオペラよりオーケストラ、それをカーネギーホールで聴きたいという私を、妹は外出のついでに下見に連れていってくれた。
荘重な外観に胸をときめかしている私を指して妹が、出てきたボーイさんにたずねた。
「彼女がオーケストラを聞きたいのだが、何時やっているか」と。
一度ひっこんだ彼は出てくるなり「どうぞ」と中へ案内してくれた。
何とそこは、第九を演奏中のホールの一階だった。椅子をすすめられて私たちは座った。
二、三、四階からバルコニーまで、子供と先生がいっぱい。舞台は本格的なオーケストラと合唱団で、指揮者が第九の合唱のさわりを指導。「今度は本番です。元気良く歌えますか」「エーイ」千人の子供たちの声。
終章の演奏、合唱。指揮者がこちらを向いて合図。あの有名な部分を、私も子供達と一緒に歌った。音楽家たちの夢である重厚華麗なホールで。胸おどらせながら。
帰途、出会った彼に心からお礼をいったら、片目をつぶって、よかった!と指で合図。さわやかなアメリカの青年だった。